コウダプロ憲法
Kouda-Pro Constitution

コウダプロは2016年4月に株式会社天真堂WESTという社名で設立された。
その後2017年6月に株式会社コウダプロに社名変更し、現在に至る。

コウダプロという社名については、当初、天真堂WEST時代には商品開発が業であることから、商品=プロダクツという意味から、コウダプロダクツという社名に内定していた。
しかしながらコウダプロダクツだと、意味が狭くなり、多岐にわたるジャンルの事業展開に支障が出るとの考えから、より広義の解釈が可能である、コウダプロという社名となった。

その経緯が象徴するように、コウダプロにおいては、企業目的と経営理念を逸脱しない範囲において事業領域は無限である。
事業戦略上の合理性やタイミングは当然考慮するとしても、その本質において、コウダプロの事業領域に制限は存在しない。

コウダプロは『面白屋』であり『ワクワク屋』である。
面白くてワクワクすることなら何をやってもよい。
それこそがコウダプロが持つ価値そのものである。
コウダプロは100年後も存在しているだろうか。
それは誰にもわからない。
しかし、こう言うことはできる。
『面白屋』でも『ワクワク屋』でもなければ、もはやそれはコウダプロではない。
そのような状態で会社が、ただ生きながらえていたとしても何の意味もない。

その時々の経営者および各社員においては、自問自答しつづけることを願ってやまない。
コウダプロがコウダプロでありつづけるために、私たちは『面白屋』『ワクワク屋』でありつづけているだろうか?と。

第一章 企業目的及び企業理念

コウダプロの企業目的

第一条

  1. コウダプロは、事業活動を通じて、顧客・パートナー企業・社員・経営者の幸福を増大することを企業目的とする。
  1. 企業目的に反する事業は、儲かる事業だとしても実施しない。
  2. 企業目的に反する上に儲からない事業は、考えるまでもなく実施しない。
  3. この企業目的に反する者は、コウダプロのメンバーではない。

コウダプロの企業理念

第二条

  1. コウダプロの企業理念は
    一 感謝の気持ちを持つ
    二 柔らかい心を持つ
    三 貢献意識を持つ
    である。
  1. この企業理念に反する者は、コウダプロのメンバーではない。

コウダプロの企業目的および企業理念の解釈

第三条

  1. 第一条および第二条の内容についての解釈は、経営者および社員の疑問と思考によって深めるものとし、その本質は可変的であり、また普遍的である。
  1. 前項に定める解釈の不一致によって問題が生じた場合は、代表取締役の解釈をもって正とする。

第二章 運

宇宙のリズム

第四条

  1. 宇宙のリズムと会社および個人のリズムが噛み合い、共振している状態のことを運が良いという。コウダプロにおいては、宇宙のリズムに逆らうことがないよう留意する。
  1. 宇宙のリズムは不可視であるので、各人が不断の努力により感覚を磨き、感じ取らねばならない。

宇宙の流れ

第五条

  1. 第四条の宇宙のリズムとは別に、宇宙の流れというものが存在する。厳密なる定義は困難だが、例えば景気の短期波動と長期波動のようなものであろうか。宇宙のリズムが「幸運にあふれた日常」に関わる事であるなら、宇宙の流れとは「人生のどん底で幸運のキーマンに出会った」というような事象に関わる。コウダプロにおいては宇宙の流れを味方につけられるよう留意する。
  1. 特に経営判断を行うものは、宇宙の流れを意識して事にあたるべきである。
  2. 宇宙の流れは不可視であるので、各人が不断の努力により感覚を磨き、感じ取らねばならない。

宇宙の流れの性質

第六条

  1. コウダプロにおいて、宇宙の流れはしばしば「流れ」と形容される。「流れ」と形容されるものにはひとつの重要な性質がある。それは「流れは、流れの存在を信じて疑わぬものに対してポジティブに作用する」という性質である。これは誤って理解することがないように留意が必要であるが、流れは意思を持たない。つまり流れがポジティブに作用するとは、流れが味方をするという意味ではない。

    たとえば海流や、河川の流れに意思があるだろうか?
    それらが誰かを溺れさせようという意思を持つだろうか?
    また、溺れる誰かを助けようという意思を持つだろうか?

    そのようなことはありえないだろう。ではなぜ、流れはそれを信じて疑わぬものにポジティブに作用するのか?2つの理由がある。

    ・1つ目の理由は、海流の存在を前提として海原に出た者とそうでない者の両者において、海流はどちらの者にポジティブに作用するだろうか?と考えた場合、答えは自明であろう。その意味合いにおいて、流れはそれを信じて疑わぬ者にポジティブに働く。

    ・2つ目の理由は、人は時として『カオス』と形容されるような究極の場面に立つことがある。カオスの中では、様々な流れが交錯し、人は想像を超える感情の坩堝や、苦しみや、不安や、恐怖や、嫉妬や、執着の只中に置かれ、パニック状態にさえ陥ってしまう。その中で人はもがき、思考は停止する。つまり、そのような状態の中で正気を保ち、流れを失わない判断と行動をしようとするならば、それは流れの存在を信じて疑わない者以外、そもそも不可能ではないだろうか。

  1. コウダプロのメンバーにおいては、流れの実在性を認識できるように鋭意努められたい。

陰と陽のバランス

第七条

  1. 各人は宇宙のリズム及び宇宙の流れが陰と陽のバランスで成り立っていることを意識し、バランスを意識した行動を心掛ける。
  1. 陰と陽のバランスを崩すと、それが人間社会の尺度において正義とされることであってもそれは宇宙様の嫌うところであり、運は散逸する。
  2. 時にはバランスを崩してでも大鉈を振るわねばならないこともある。その際は大きな作用には必ず大きな反作用が伴うことに留意し、その反作用が正の作用に転化するように意識せねばならない。

カオス

第八条

  1. 流れと流れが錯綜し、絡まり合い、ぶつかり合い、あたかも激流を形成するような場面を『カオス』と呼ぶ。カオスの中にあっては、通常機能する直感は機能が大幅に低下し、正しい判断が難しくなる。
  1. カオスの中で、宇宙の流れに嫌われることのない思考と判断と行動に終始すれば、どんなに混沌とした問題が存在したとしても、必ず道は開け、流れはカオス以前よりも加速する。
  2. 前項にある宇宙の流れに嫌われることのない思考と判断と行動とは、一義的に言えば、自己正当化することなく、逃げ出したくなるような目の前の問題に対して、真正面から向き合う事である。そうすれば必ず道は開ける。それは、会社が倒産し迷惑をかけた債権者に対して、誠心誠意お詫びと返済の意思を伝えた際に「その態度が気に入った」と言って浮上のチャンスを貰ったというような逸話が世間にあるが、そのような事象である。もし問題の本質から目を背けたならば、同じ課題が事例を変えて何度でも目の前にやってくることになる。
  3. カオスの中では、「原理原則に従い、あとは出た目が正解」という態度で臨むのが良い。問題の解決にあらゆる思考を動員し、解決に最大限の努力をするのは言うまでもないが、その結果は「出た目が正解」とばかりに、宇宙様にゆだねてしまうのだ。自ら結果を望んではいけない。結果を望むことなく、原理原則に従って、最善の結果が出るように努力をし、後は宇宙様に任せるのだ。カオスの中にあっては、それが一番道を間違わぬ態度である。
  4. カオスの中では、保身と執着が最も宇宙様の嫌うところである。カオスの激流の中にある時は保身と執着を持たぬように留意が必要である。

出た目が正解

第九条

  1. 出た目が正解とは、宇宙の流れに嫌われぬことのない心の在り方や判断、行動を尽くしたあとは、宇宙様に身をゆだねる感覚である。俗にいう「運を天にまかせる」「人事を尽くして天命を待つ」という言葉が近いかもしれない。これの「正解」だが、人間の尺度ではそれが正解に見えないことが多い。目の前の損失や失ってしまう事の大小に目を奪われてしまうからである。そこで人は策を弄したり、目の前の安易な解決法に飛びついたりなどするが、それは自滅の道である。宇宙の流れから嫌われぬ、原理原則に基づく自分の深い心に基づいて行動したのちは、出た目が正解である。例えば、ある人を信じて詐欺にあったが、それが上辺の儲け話に乗ったのではなく、騙されても良いとの判断で進めた話であれば、その結果は仮に詐欺の被害にあったとしても「出た目が正解」として受け止めるべきである。もし詐欺の被害という損害に目を奪われ、自分を詐欺の被害者としてしまった場合は、さらに大きなものを失ってしまうことになるだろう。

ユーモアの精神

第十条

  1. ユーモアの精神は運に繋がる明るさや、生産性につながる人間関係の円滑さなど多岐にわたり作用を及ぼすものである。コウダプロにおいては、いついかなる時もユーモアの精神が尊ばれる。

淡々とする

第十一条

  1. 流れが良い時も悪い時も、常に淡々としておくのが良い。淡々とすることが運を呼び、運を繋ぎとめる。

第三章 考え方

思考停止の禁止

第十二条

  1. 経営者および社員が自らの疑問と思考によらずして、コウダプロ憲法条文を、すべて前提として正とする態度は厳に慎み、自らの言葉で他者に各条文の解釈を伝えることを能う責任を負う。

こざっぱりする

第十三条

  1. 平素より自らの精神をこざっぱりさせておくことが重要である。いわば「立って半畳寝て一畳」という心境を持っておくことはとても重要である。
  1. 高い業績が出た時や、上司となって権限を持った時などに、人間は勘違いして尊大になり天狗様になる。それを防ぐためには謙虚な気持ちが重要といわれるが、実はこれはこれで難がある。謙虚な自分を誇るようになってしまうし、謙虚さが足りないと思われる人物を批判する気持ちが生まれる。
  2. こざっぱりしておくと、このちっぽけな自分ごときが、という心境となり勘違いを防いでくれる。
  3. こざっぱりさが失われ尊大となった者は、セクシャルハラスメント・パワーハラスメント・横領等の不祥事を引き起こすことが多く、注意が必要である。

裁かない

第十四条

  1. つい人は自分の尺度を万人に適用して、自分の基準で人を裁いてしまう。これには強い警戒心を持つべきである。これは全てを受け入れて、批判や攻撃をしないという意味ではない。すべてを受け入れるならば、それはただの迎合である。人が人を裁くとき、事象のありのままを見ることができなくなってしまう。それが問題の本質である。
  1. コウダプロ憲法第一条4項および第二条2項には、メンバーの排除規定も存在する。それは本条に規定される「裁く」ことなのか、そうではないのか、各人が自ら思考することが重要である。

芽を摘む

第十五条

  1. 悪い考えが芽生えた瞬間に、それを摘み取るように努めなければならない。人間だれしも、褒められたら嬉しいし、調子にも乗る。自らの仮説が的中し、事業が上手くいった時などは、自分は世界一の天才である、というほどの心境にもなる。その気持ちが大きくなってしまうとやがて自分でも制御できぬ状態となる。このように人間の心には悪い気持ちが常に萌芽するものである。人間が人間である以上、悪い心の芽をなくすことは出来ぬが、芽生えた直後に摘み取ることはできる。
  1. いわゆる人格者は悪いことを考えないというのはおそらく誤解である。人格者とそうでない者の違いは、悪い考えが芽生えた直後に摘み取るか、それが大きく育ってしまうかの違いではないだろうか。
  2. 摘み取るべき芽は悪い考えのみとは限らない。人によっては「自分など価値がない」という自虐の気持ちや完全主義の罠に陥り「私はできていないことだらけだ」と卑下してしまう気持ちなどもある。それらも同じく芽生えた瞬間に摘み取る対象である。

第四章 組織

上司は偉いということを理解する

第十六条

  1. コウダプロにおいて、上司は自分よりも偉いということを理解しなければならない。
  1. 上司の「偉さ」とは業務を行う上での会社から見た価値の重みであり、人類普遍的な意味においての人間存在としての価値の重みのことではない。いうまでもなく人類普遍的な意味において人間の価値は平等である。
  2. 上司がなぜ「偉い」のかは、論理的に説明が可能である。ぜひ疑問を持って上司に質問して欲しい。「上司はなぜ偉いのか?」と。

上司は偉いということから逃げない

第十七条

  1. 第十六条において、上司は「偉い」と定義することは、とりもなおさず、上司には部下よりも重い責任、高度な倫理観、人間性の広さおよび深さが求められると解することは当然である。それを伴うことのない「上司の偉さ」は、腐敗した権力そのものである。上司は偉いと自ら宣することは、自らに責任を負わせる行為に他ならない。
  1. コウダプロにおいては「上司は正しい」という前提に立つが、残念ながら上司が間違うこともあれば、本来上司になってはいけない者が上司になってしまうこともある。そのような可能性に鑑み、コウダプロ憲法においては第十九条に「コウダプロ裁判」、第二十条に「建設的な提言」が規定されている。つまり、コウダプロにおいては上司は偉く正しいという前提に立つが、部下側は上司を正し、場合によっては排斥することさえ可能な剣を保有しているのである。

人を大事にする

第十八条

  1. コウダプロの財産は人である。コウダプロは人を大事にする会社でなくてはならない。
  1. 人を大事にするとは、人を人として見るということである。決して過度に優しくしたり、過保護にしたり、迎合したりすることではない。
  2. 自分を利するための、利用の対象として人を見る時、人を人として見ていないとなる。

コウダプロ裁判

第十九条

  1. コウダプロにおいては上司の判断、在り方に疑義を持つ部下はコウダプロ裁判を提起することができる。
  1. この裁判を受ける権利はコウダプロの民主主義の根幹をなすものであり、不可侵に尊重されなければならない。
  2. コウダプロ裁判は所定の要件と手続きの下、実施される。

建設的な提言

第二十条

  1. 役職の上下、社歴の浅い深いにかかわらず、建設的な提言は何人もこれを妨げてはいけない。
  1. 提言は礼節をもって伝達しなければならない。

上司と部下のコミュニケ―ション

第二十一条

  1. 上司が判断を誤った場合、とかく部下は上司を批判しがちであるが、部下としては「上司が判断を誤ったのは、自分が正しい情報や提言を、十分な量伝えていなかったからだ」と考えるべきである。
  1. 上司は部下から上げられた報告や提言が、自らにとって不都合な事実であったとしても、率直に事実を直視し、新たなる判断をしなければいけない。この時、上司は部下からの報告や提言が自分にとって不都合であったり、感情的に受け入れがたいものであったとしても、意地を張って反論否定するようなことは厳に慎むべきである。
  2. 前項に反する者はコウダプロの管理職とは言いがたく、降格されるべきである。
  3. 本条の前提となる思想を「フォロワーシップ」といい、コウダプロの管理職はフォロワーシップについて第三者に説明するに能う状態でなければならない。

フォロワーシップの本質

第二十二条

  1. コウダプロにおけるフォロワーシップの本質とは【組織の本質はあたかも軍隊的である】ということと【社員の自主性に基づきワクワクしながら主体的に仕事をする】ということの、一見背反する二つの要素を両立する機能である。
  1. 上司が部下からの提言を【合理的な提言であるかどうか】という一点をもって判断する時、部下の提言が合理的であるならば部下の提言はすべて裁可されるという事になる。これは部下が決裁権を持っているのと同じ状況であるといえる。

エゴを論理性で包(くる)んではならない

第二十三条

  1. エゴを論理で包むことは厳に慎まねばならない。おおよそ自己の望む結論に議論を誘導しようとする者は、「私が得をしたいので、このようにすべきだ」と主張することはない。あたかも論理的かつ公益を考えたものであるかのように主張する。これは組織内の信頼関係および、信頼関係に基づく率直なコミュニケーションを瞬時に破壊しうるものである。
  1. エゴを論理性で包んだかどうかは、その場においては本人にしかわからない。だが時間の経過とともに、やがて周囲にもそれが伝わるものである。エゴを論理性で包む者はやがてコウダプロを去ることになるだろう。

決めつけない

第二十四条

  1. とかく人は誰かを、物事を、決めつけがちである。とりわけ自他ともに洞察が鋭いと認める人物であればあるほど決めつけが強くなりがちである。洞察が優れているゆえに自分の見立てを過信してしまうのである。決めつけないことが大事である。決めつけてしまうと、事象のあるがままを見ることはできない。今日道端にゴミをポイ捨てした者が、明日世のため人のために大金を寄付する可能性は、ほぼゼロではあるがゼロではないし、信用ならんと思った人物が案外誠実な人物であったということはよくある。洞察することは良いが、決めつけてはならない。そのためにも自分を柔らかく保っていることが重要である。

コウダプロの品質

第二十五条

  1. 意識、発言、行動すべてにおいて、これはコウダプロの品質基準を満たしているか、各人が自問自答すべきである。
    「コウダプロクオリティとして適切であるか?」
    この自問自答が、プロ意識を生み出し、サービスレベルを引き上げ、企業体の強さを生み出すのである。

第五章 生産性

問題を未然に防ぐ

第二十六条

  1. 火事が大火となったあとに消すのは容易ではないが、大火も最初はマッチ一本の火が原因である。組織の生産性を最も下げるのは事故に代表される突発事項である。事故や突発事項は未然に防ぐか、小さなときに潰しておくのが高い生産性を実現するための最優先事項である。

物が言いやすい

第二十七条

  1. 2人の事務員がいたとする。1人は能力が高く、もう1人は要領がよくない。一見前者の生産性が高いように思えるが、もし、前者は性格が強くて物が言いづらく、後者は素直な性格で物が言いやすいとしたらどうだろうか。コウダプロは後者の生産性が高いと考える。理由は各自考えてみてほしい。

勝手パス

第二十八条

  1. 生産性が高い状態は「なぜ何のために何をなすべきか」ということが理解された集団が勝手に自律的に動く状態である。これを勝手にパスが回る状態、即ち「勝手パス」という。
  1. これはコウダプロ創業者が2002年1月にベンチャー・リンク社の入社研修での模擬ゲームで発見した事実である。

浮きの一本

第二十九条

  1. 例えば6人で作業を行うとする。これを6人全員で一斉に作業に入るのか、作業に入るのは5人で、1人はローテーションで作業から抜け休憩しながら、様々なるイレギュラーに対応し、5人が快適に作業できるように努めたとする。どちらの生産性が高いだろうか?おそらく、6人同時作業よりも、5人が作業し1人がローテーションで休憩しながら5人の世話係をするというほうが生産性は高い。組織内の連帯感や、貢献意識は必ず5人+1人のほうが高まる。作業後の疲労度も全く違うだろう。この作業から外れた1人のことを、定常的業務から外れた1人、すなわち「浮きの一本」と呼ぶ。
  1. なぜ一本と呼ぶかは、シフトワークの際に1人を一本と呼ぶことに由来する。

知識や教養を持つ

第三十条

  1. 知識や教養を増大させることを怠ってはいけない。言うまでもなく知識や教養は生産性に直結する。本を読む、新聞を読む、雑誌を読む、インターネットの記事やコラムを読む。多忙な中でも、細切れの時間を使ってでも、何らかの勉強をすることはできる。

自己革新

第三十一条

  1. 人は自らの潜在能力の発揮を決定的に妨げる心の癖を持っていることが多い。そのような癖が解消した時に、その人の発揮能力は劇的に向上する。その心の癖がとれることを「自己革新」と呼ぶ。また経験を通じて獲得した新たな視点により思考や感性や行動が変わることがある。その視点の獲得もまた「自己革新」と呼ぶ。
  1. 自己革新を常態とした者に対しては、極力第二十八条にある「勝手パス」にて仕事を任せる事が望ましい。
  2. おおよそ劇的な自己革新はカオスを伴うことが多い。このことからもカオスの中で道を間違わぬことが肝要である。

創造性

第三十二条

  1. 創造性は自由で馬鹿馬鹿しい環境から生まれることも多々ある。自由で馬鹿馬鹿しい環境は創造性の維持のために重要である。

事業の全体最適

第三十三条

  1. とりわけベンチャー企業にとって速さは命と言っても過言ではない。しかし、数多の企業において「間違った目的地に全速力で走り、引き返してはまた走る」ということが繰り返されている。それを繰り返すうちに現場は疲弊していき、心身に変調を来し、最悪の場合は社員が退職へ至る。コウダプロにおいては「正しい目的地に早歩きで向かう」というのが最速と考える。ビジネスは100メートル競走ではなく、100キロ歩行のようなものである。100キロ歩行の中で最速を追求すると早歩きになる。コウダプロの考える事業の全体最適とは100キロ歩行における最速状態のことをいう。
  1. 目的地の変更も、途中で引き返すことも当然ある。不確定な未来に進む中で、何はともあれ動いてみようという中で、朝令暮改は当然のことである。朝令暮改を恐れてはならない。
  2. 時として100メートルの全力疾走が必要な場面もある。その時は躊躇なく全力疾走すべきである。

4ゲ主義

第三十四条

  1. コウダプロにおいて仕事を行う上では、4ゲ主義を旨とせねばならない。4ゲとはすなわち、現地・現物・原典・ゲリラのことである。仕事を行う上で、他人やインターネットから得られる情報を鵜呑みにしてはならない。自らの足で現地へ赴き、現物を手に取り、二次情報ではなくて原典にあたる。ゲリラとは現地・現物・原典から得られたオリジナル情報を元に、自らの頭と感覚を駆使してビジネスを進めることである。
  1. 各種の専門家に意見を求める場合も同じく鵜呑みにしてはならない。基本的に専門家は非常に有用な存在であるが、前提となる視点や情報、彼らの熱量に有用性は大きく左右される。専門家を頼る場合でも、全体像を把握して論点を理解する姿勢が必要である。
  2. 4ゲ主義の対極にあたるのは、部下や外部パートナーに必要情報の収集や方針の立案を丸投げして、それを疑うことなく仕事を進めるような姿勢である。このような姿勢は大企業を中心とした他人銭(ヒトゼニ)感覚に侵された職場に散見されがちである。

第六章 コウダプロ憲法の改正

コウダプロ憲法の改正

第三十五条

  1. コウダプロ憲法の改正は、コウダプロのメンバーであればいつでもだれでも発議することができる。その改正案は可及的に全員が参加できる開かれた場で議論され、その最終的な判断は代表取締役が行う。

第七章 コウダプロ憲法との向き合い方

コウダプロ憲法との向き合い方

第三十六条

  1. 社員および経営者はコウダプロ憲法を、決して崇高なものと考えてはならない。
    どのような思想・概念・個人であれ、それを崇高な存在と考えたときに思考は停止する。
    コウダプロ憲法はあくまでも道具である。
    コウダプロの未熟な創業者が45歳の時点で、考えをとりまとめたものに過ぎない。
    コウダプロ憲法は道具である。道具は欠点もあれば劣化もする。
    そのような態度で向き合うべきである。

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