コウダプロ新卒3年目の原口です(/・ω・)/
本日は、コウダプロが志向する「新しい昭和」という概念についてお話します。
コウダプロにおいては、この「新しい昭和」は大変重要なテーマですので、応募を検討中の方は必ずご一読くださいませ。
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わたしたちは「新しい昭和」を目指しています。
幸田は若者に言います。
「君たちに時間で働いてもらっているつもりはない。だから残業代は払わない。」
と。
現代の若者の感覚からすると、到底受け入れ難いというか、「この社長頭大丈夫か?」と思われてもおかしくないと思います。
コウダプロの若者には、これを理解せよと求めています。
しかし一般の会社は「受け入れ難い」という、その当世若者気質に迎合していっております。
それはなぜか?
法的には彼らが正しいからです。
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※この法的正当性は幸田からみればほとんど無意味なのです。
なぜなら、子供への体罰を肯定する法律など一つもありません。
当然親が子供を殴っても「傷害罪」です。
ですが、私は子供を大いにぶっ飛ばしてきましたし、それが間違っていたとも思いません。
法律を盾にして「虐待だ!」と言う人がいても、あほか?で終わりです。
法的な正しさが幸田にとって意味がないというのはそういう意味です。
当然逮捕されますがw
ただ、子供が道を踏み外した時に、逮捕を恐れて子供を殴らない親がどこにいますか??という話です。
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コウダプロは当世の若者気質に迎合しません。
ですが…。
同時に、「昭和側(シニア側)」は考えるべきだと思うのです。
彼らに「昭和」への理解と歩み寄りを求めるように、
我々「昭和」は若者の何を理解して、どう歩み寄るべきなのか?
と。
それは、取りも直さず「新しい昭和」について考えることとなります。
コウダプロの若者に求めていることは、今の日本の常識に照らせば、「ブラック企業の経営者」そのものではないかと思います。
友人に話したら、その会社頭おかしいからすぐやめた方がいいと言われても不思議ではないと思います。
それを、理解せよ!と、若者に言っています。
昭和世代の側が、「新しい昭和」を理解していなければ、若者に「昭和」を理解せよ!とは言えなくなります。
なぜなら、それは昭和の押し付けになるからです。
つまり双方向性ですね。
双方向性がコウダプロの本質です。
では、「新しい昭和」とはどうなった状態のことを指すのでしょうか?
それは、
若者は「自立」し、シニア側は「受容」している
状態です。
自立とはつまり、言葉の正しい意味で「大人になる」ということでしょうし、
受容とは、迎合や甘やかしではなく、どれだけ若者の考えを受け入れられるかでしょう。
そしてその本質は、「リスペクトに基づく、人間性(内面)への踏み込み」です。
昭和の時代は、ともすれば若者や後輩に対するリスペクトを欠く傾向がありました。
だから、パワハラやセクハラが横行していたのです。
若者もシニア側もお互いにリスペクトしていれば、合理性の大きい意見が残るはずです。
現代の日本では、人間性(内面)に踏み込もうとするとパワハラとされる風潮があります。
また、若者側も踏み込まれることを過度に嫌がる傾向にあります。
ですが、それでは誰が若者を育てるのでしょうか?
幸田は言います。
「コウダプロでの若者育成はある意味子育てのようなものだ」
と。
コウダプロは「質としての世界企業になる」と当たり前に思っていますが、それは「新しい昭和」を志向するからこそ実現できるものです。
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以上、コウダプロが目指す「新しい昭和」についてお届け致しました。
世の中の風潮からはかなり逆行しておりますが、「新しい昭和についてもっと話を聞いてみたい」と思われましたら是非一度お話しましょう!
ご応募、お待ちしております!